バーチャル美少女受肉――通称「バ美肉」とは、一言で言えば「おじさんがネット上で美少女になる」現象である。
元はVR空間や動画配信で美少女アバターに自身を受肉(憑依)させることを指すスラングで、2018年前後からネット上で使われ始めた新語だ。
バーチャルYouTuber(VTuber)の盛り上がりやVRChatなど仮想空間サービスの普及とともに誕生し、当初は性別を問わず自作の美少女キャラクターになって活動する行為全般を意味していた。
中でも特に「中身が男性で見た目が美少女」のケースが注目され、成年男性が美少女アバターを纏えば「バ美肉おじさん」と呼ばれるようになった。
現実の性別を偽るニュアンスのある「ネカマ」と異なり、バ美肉はあくまで仮想空間で理想の美少女姿を演じることであり、演者が男性である事実を隠すか否かは問わない点が特徴だ。
バ美肉の起源と「のじゃおじ」伝説
バ美肉文化の源流として欠かせない人物が、2017年末に突如脚光を浴びたバーチャルYouTuber「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」、通称「のじゃおじ」である。
このVTuberはキツネ耳のロリ美少女キャラクターに男性(おじさん)の声というギャップが衝撃的で、当初から中の人が男性であることを公言していた。
可愛いキャラクターなら中身がおじさんでも構わないという価値観を彼が示したことで、「おじさんが美少女になっても良いんだ!」という新しい概念が広まったと言われている。
実際、のじゃおじに感化されてVTuber活動を始めた人も多く、彼がいなければ現在のVTuber業界はなかったという声もあるほどだ。
当時キズナアイを筆頭に女性VTuber四天王が人気を博していた中で、無所属の一般男性がLive2D製の美少女モデルに自ら声を当てて配信するスタイルは異色であり、「素人でも美少女になれる」敷居の低さを世に示したのである。
「バ美肉」という言葉の誕生
のじゃおじ登場のインパクトにより一時は男性による美少女化が話題になったものの、当初は散発的な盛り上がりに留まっていた。
しかし2018年に入り、バ美肉ムーブメントに火を付ける出来事が相次ぐ。
まず5月末、漫画家のリムコロ氏とイラストレーターの巻羊氏がLive2DとFaceRigを用いて自身のイラストを動かす生配信を行い、誰でも手軽に「自分の描いた美少女」に魂を吹き込める手法を紹介した。
イラストレーターなどクリエイター気質のVTuber予備軍にとってこれは魅力的な技術で、これを機に「自分のキャラで美少女VTuberになりたい」という男性たちが続々と集い始める。
そして2018年6月、「バーチャル美少女セルフ受肉おじさん女子会ワンナイト人狼」というコラボ配信イベントが開催される。
おじさんたちが自作の美少女キャラになって集まるというこの配信タイトルこそが、「バ美肉」という言葉の語源だ。
参加メンバーには後に第一人者と称される魔王マグロナ氏も名を連ねており、配信内外で大いに話題となった。
以降「セルフ」の語は省かれ、「男性が美少女の肉体を手に入れて演じること」全般を指す略語として「バ美肉」が定着していく。
バ美肉文化の発展と四天王の登場
バ美肉ブームが本格化した2018年後半には、個人勢VTuberの中から人気者が続々と現れた。
中でも代表的なのが「魔王マグロナ」「竹花ノートママ」「兎鞠まり(とまりまり)」「リムと巻(リムコロ&巻羊)」の4チャンネルで、ファンから「バ美肉おじさん四天王」と称される存在である。
魔王マグロナは美少女魔王キャラを名乗るVTuberで、かわいらしい見た目に反して中身は男性というギャップで人気を博した。
彼女(中の人は男性)は特に「声」が注目され、ボイスチェンジャーを駆使して違和感のない女性声を実現しており、「まるで本物の女の子みたい」と評判になった。
当時多くのバ美肉VTuberはフリーソフトのボイスチェンジソフトを使っていたが、音声を女性らしく加工しすぎるとノイズで潰れる問題があり、自然な高音ボイスを出すのは容易ではなかった。
そんな中で魔王マグロナは自前の工夫で「地声をできる限り女性に寄せ、機械加工は最小限にする」調整を行い、クリアな女声を披露したため一躍注目を集めたのである。
彼女自身も配信でボイスチェンジのコツを伝授する企画を行い、多くの後続バ美肉おじさんたちが参考にしたという。
また、個人VTuberの兎鞠まりはピンクの髪にウサミミ姿が特徴の美少女キャラとして人気を博し、2025年現在でチャンネル登録者数50万人を超えるなどバ美肉勢の中でもトップクラスの成功を収めている。
兎鞠まりの中の人は男性であることを公言しており、「永遠の25歳おじさん」と自称しつつも可憐な女の子キャラになりきって雑談やゲーム配信を行っている。
そのギャップ萌えとトークセンスでファンを魅了し、「中身がおじさんと分かっていても純粋にかわいい」と支持を集める代表的なバ美肉VTuberとなっている。
バ美肉を支える技術と手法
おじさんが美少女として活動するために欠かせないのが技術の力だ。
まず外見面では、高品質な美少女アバターを手に入れる必要がある。
3DCGモデルを自作したり購入する方法もあるが、2018年頃からはLive2Dによる2Dイラストのアバター化が手軽にできるようになり、多くのクリエイターが自身の描いたキャラでVTuberデビューするようになった。
FaceRigなどのソフトとウェブカメラを用いれば、自分の表情や動きをリアルタイムでイラストに反映させることができ、専門知識がなくても比較的簡単に「美少女の皮」を被ることが可能となった。
またVR機器を用いてVRChatなどにログインすれば、自分の姿を好きなアバターに変えてバーチャル空間で他者と交流できる。
こうした技術的土台が整ったことで、「なりたい美少女になって活動する」というバ美肉文化がクリエイターコミュニティ全体に広がっていった。
さらに中身の声を美少女らしく演出するための音声技術も重要だ。
大半のバ美肉おじさん達は自身の男性の声を加工して女性声に近づける工夫を凝らしている。
方法は主に2種類あり、一つはボイスチェンジャー(ボイチェン)と呼ばれる音声変換ソフトを使う方法、もう一つは「両声類」と呼ばれるように自分で女声を出す発声訓練による方法である。
ボイスチェンジャーは男性の声のピッチや声質(フォルマント)を変えて女性のように聞かせるツールで、昔から試行錯誤されてきた。
2018年当時は無料ソフト「恋声(こいこえ)」などが定番だったが、近年は低遅延かつ高音質でより自然な女声を実現するAIベースのソフト「バ美声」なども登場し、技術は飛躍的に進歩した。
一方、自前で声帯を鍛えて女性っぽい声を出せるバ美肉勢もいる。
彼らは裏声や発声法を徹底的に練習し、ボイチェン無しでも可愛い声を操る達人で、ネットでは「ガチ両声類」などと呼ばれている。
ボイチェン派と両声類派の両方が存在することで、バ美肉界隈では声の出し方にも多様なスタイルが共存している。
「バ美肉おじさん」は地獄?――自虐とネタの文化
バ美肉おじさん達は自らの特殊な姿をネタにするユーモア精神も旺盛だ。
彼らの間では「これは地獄のようなコンテンツだ」という自虐的なフレーズが頻繁に用いられる。
美少女の体を自作し、自分で動かし、自分で声まで当てる――文字通り一人で美少女になりきる様は傍から見ればシュールであり、当人たちもそれを自覚して「地獄だw」と笑い飛ばしているのだ。
2018年の黎明期に行われたインタビューでも、複数のバ美肉おじさんたちが「性癖が歪みそう」「闇が深い」などと冗談めかしてバ美肉を評し、総じて「地獄ですね」と答えていたという逸話がある。
こうした自虐ネタはバ美肉文化のひとつの様式美となっており、視聴者も含めて「分かっていて楽しむ」空気が醸成されている。
可愛い美少女キャラが発するセリフの端々におじさん臭が漂ったり、ふとした拍子に地声の低いおじさんボイスが漏れてしまったりするハプニングも、ファンにとっては面白いお約束だ。
「中の人などいない」が鉄則だった従来のVTuber文化に対し、バ美肉では中の人の存在や性別のギャップすらコンテンツとして昇華しているのである。
SNS・同人文化とバ美肉コミュニティ
バ美肉の盛り上がりはネット上のクリエイターコミュニティや同人文化とも深く結びついている。
Twitter(現X)では「#バ美肉」タグで自ら美少女受肉したユーザーたちが情報交換を行ったり、おすすめの機材・ソフト設定を共有したりして交流してきた。
バ美肉VTuberの多くは元々イラストレーターやエンジニアなど創作活動に携わる個人勢であり、自給自足で理想の美少女キャラになろうとするDIY精神が強い。
そのためコミュニティ内でも「自作アバター」「自作ボイスチェンジャー設定」など技術的な話題が盛んで、ノウハウをまとめたブログや指南動画も数多く生まれた。
中には美少女ボイスの出し方を解説する同人誌を制作してイベントで頒布する人もおり、実際に何百部も売り上げるヒット作となった例もある。
また、バ美肉VTuber同士のコラボレーションも頻繁に行われ、合同配信や座談会、生放送イベントで交流を深めている。
2018年10月には渋谷のクラブを貸し切って「バ美肉ナイトクラブ」というオフラインイベントが開催され、魔王マグロナや兎鞠まりら人気バ美肉VTuberが一堂に会してトークライブを行った。
会場は大勢のファンで賑わい、イベントがTwitterトレンド入りするなど話題となった。
以降も大学祭でのトークセッションや秋葉原でのライブイベントなど、バ美肉をテーマにした催しが続々と開かれ、仮想世界の住人がお茶の間に飛び出してリアルと接点を持つ場面も増えていった。
ジェンダー観・表現の自由とバ美肉
バ美肉という現象は、ジェンダーや自己表現の観点からも興味深い側面を持つ。
男性が美少女キャラクターになりきる行為は、一時的に「男性であること」から解放される試みとも言われる。
ある人類学者の研究では、バ美肉する動機の背景に「男性社会の抑圧から逃れ、支配的な男らしさの規範に代わる選択肢を求めている」傾向があると結論付けられたという。
実際、普段は平凡なおじさんでもバーチャル空間では可憐な美少女として振る舞えることに爽快感を覚える、と語るバ美肉勢もいる。
一方で、男性が思い描く理想の美少女像を演じることで既存の女性像のステレオタイプを強化しているのではないか、という表象批判的な指摘も存在する。
要するに「オタク男性が都合のいい女の子像を仮想的に作り上げているだけではないか」という視点である。
フェミニズムの文脈でも、バ美肉文化は評価が割れるテーマだ。
女性キャラクターの性的な表象ばかりが消費されることへの懸念や、女性の身体を男性が操作することへの違和感を示す意見もある。
しかしながら、当のバ美肉おじさん達は「自分たちは女性になりたいわけではなく、キャラクター表現を楽しんでいるだけ」と語ることが多い。
彼らにとって美少女アバターは自己表現のキャンバスであり、現実の性自認とは切り離された創作上の存在なのだ。
その点で言えば、歌舞伎の女形や宝塚の男役のように、ジェンダーの枠を超えた表現芸術の一種と捉えることもできよう。
「男性だからこそ描ける究極の美少女像がある」という肯定的な意見もあり、表現の自由の観点からバ美肉は新たなクリエイティブの形として認知され始めている。
メディアにおける扱いと社会的評価の変遷
バ美肉は元々ネット発のニッチな文化だったが、徐々に一般にも知られるようになってきた。
一つの転機は2020年1月、NHK Eテレのトーク番組『ねほりんぱほりん』でバ美肉が特集されたことだ。
ブタの人形に扮した匿名のゲストとして3人のバ美肉おじさんが出演し、自らの体験談を語った。
中には自称「世界最古のVTuber」であるバーチャル美少女ねむも登場し、地上波テレビでお茶の間にバ美肉おじさん達の実態が紹介されると大きな反響を呼んだ。
この放送をきっかけに「バ美肉」という言葉の認知度は飛躍的に高まり、ネットスラングが現実社会でも通じるようになったと言える。
さらには同年9月、フランスの大手新聞リベラシオン紙が「日本でバーチャル異性装がブームに」と題した記事でバ美肉文化を取り上げ、海外メディアにまで進出した。
こうした形でメディア露出が増えるにつれ、バ美肉に対する世間の目も徐々に変化している。
当初は「中年男性が美少女になりきる奇妙な遊び」といった半ば珍事扱いの見方もあったが、現在では一種のオンライン表現活動として受け入れられつつある。
バ美肉VTuberたちが実際に生み出すコンテンツは、歌やイラスト、ゲーム実況など多彩であり、単に物珍しいだけでなくクリエイターとして高い評価を得る例も増えてきた。
企業の目にも留まり、VTuber事務所が男性歓迎のバ美肉オーディションを開催したり、バーチャルイベントで男性社員が美少女アバターに扮してPRを行ったりするケースも登場した。
一方で、メディアによる誤解や偏見が問題化したこともある。
2021年にはあるニュースサイトが殺人事件の記事見出しに「バ美肉好き夫婦が犯行」という趣旨の文言を含め、あたかもバ美肉嗜好が犯罪動機であるかのような印象を与えてしまった。
これに対しバ美肉コミュニティや有志団体が「趣味への差別だ」と抗議声明を出し、結果的に記事タイトルが修正・謝罪される騒動も起きている。
この出来事は、一般社会にはまだバ美肉への理解が浸透しきっていない面を浮き彫りにした。
それでも総じて見れば、バ美肉文化は年を追うごとに市民権を得つつあり、「好きな姿で生きる」一つのライフスタイルとして認められ始めていると言えよう。
最近のトレンド:技術革新と未来のバ美肉
2020年代に入り、バ美肉界隈にはさらなる技術革新の波が押し寄せている。
まず音声技術の進歩が著しい。
先述のボイスチェンジャー「バ美声」は2018年頃から開発が進められ、2021年には正式版がリリースされた。
低い遅延でリアルタイムに男性声を女性声へ変換でき、その自然さは初期のボイチェンとは一線を画す。
またドワンゴ社が開発した「Seiren Voice」など、AIを活用して録音音声を高品質に女性化するソフトも登場し、誰でも手軽に可愛い声を手に入れられる時代が来つつある。
さらに音声合成技術もバ美肉に新たな可能性をもたらしている。
AIによるテキスト読み上げソフトや歌声合成ソフトが進化したことで、自分の声をAIに学習させて代理発声させることも可能となった。
実際、とあるVTuberは自分のボイスモデルをAI音声ライブラリとして提供し、生放送のスーパーチャット読み上げをそのAIに任せる試みを始めている。
喉を酷使する長時間配信の合間にAIが代役を務めることで、演者の負担を軽減しつつ活動を続けられるというわけだ。
このようにバ美肉おじさん達もAIとの“共存”を模索し始めており、人間とバーチャルの境界はより曖昧になっている。
また、バ美肉文化は音楽分野でもユニークな展開を見せている。
2020年8月には「バ美肉紅白」と題した音楽ライブイベントが開催され、男性が女声で歌うバ美肉VTuber8名が紅組(ボイチェン組)と白組(両声類組)に分かれて歌合戦を繰り広げた。
科学の力で声を変える組と鍛錬で女声を会得した組が競演するこのイベントは、単なるライブに留まらず最先端の音声テクノロジーのショーケースともなった。
観客投票で勝敗を決める方式も相まって大いに盛り上がり、バ美肉が一つのエンターテインメントとして成熟してきたことを示す象徴的な出来事となった。
他にもAIボイスチェンジとVTuber技術を融合させた新サービスが登場したり、フル3D美少女アバターを使ったVRライブで男性歌手がバ美肉化するなど、トレンドは多岐にわたる。
「人類美少女計画」を掲げるバーチャル美少女ねむ氏のように、「誰もが可愛い美少女になれる世界」を目指すムーブメントも勢いを増している。
もはやバ美肉は一部のおじさんの奇抜な遊びではなく、技術と創意工夫に支えられた新時代の自己表現として進化を遂げていると言えるだろう。
この先、さらにリアルとバーチャルの垣根が低くなれば、老若男女問わず「なりたい自分」に変身して活動することが当たり前の未来が来るのかもしれない。
管理人のひとこと
ここまでバ美肉文化について網羅的に見てきたが、正直なところ筆者も調べているうちに「奥が深いな…」と唸らされた。
最初は「おじさんが美少女!? なんじゃそりゃ」と半信半疑だった人も、その舞台裏を知れば見方が変わるのではないだろうか。
バ美肉おじさん達の努力と愛に満ちた創作魂には素直に敬意を表したい。
可愛ければ中身なんてどうでもいい――そんな開き直りから始まった文化かもしれないが、今や技術革新まで巻き込み「好きな自分で生きる」自由の象徴になりつつある。
皆さんも機会があれば、ぜひ一度バ美肉VTuberたちの配信をのぞいてみてほしい。地獄のようで天国のような、不思議な沼にハマるかもしれませんよ?
参考文献
- https://realsound.jp/tech/2018/10/post-268888.html
- https://nlab.itmedia.co.jp/cont/articles/3288310/
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E7%BE%8E%E8%82%89
- https://create-vt.jp/news71
- https://www.moguravr.com/voice-changer-selection/
- https://www.trans.co.jp/column/oshikatsu/virtual_youtuber/
- https://www.j-cast.com/2021/09/02419532.html
- https://diamond.jp/ud/authors/641bbaf5a53aef8ef1000000

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